歴史

Note: これは、JosSoares によって寄稿されました。

ユリウス日 (Julian Day) は、フランスの学者 Joseph Justus Scaliger (1540-1609)によって発明されました。 この語源は、恐らく彼の父親の名で、イタリアの学者である Julius Caesar Scaliger (1484-1558)から名づけられたと思われ ます。 天文学者達は、紀元前 4713年 1月 1日から毎日固有の番号を割り当 てるユリウス周期を使いました。 これがいわゆる、ユリウス日 (JD)です。 紀元前 4713年 1月 1日の UTC 12時から 紀元前 4713年 1月 2日 のUTC 12時までの 24時間が、 ユリウス日の 0日目 (JD 0) とされています。

"ユリウス日" は、"ユリウス暦" とは違います。 ユリウス暦は、Julius Caesar によって紀元前 45年に発表され、 グレゴリオ暦への変更が開始された 1582年まで 一般的に使用されていました。 ユリウス暦では、太陽年は 365 1/4日間 = 365.25日と概算されて いますが、これはおよそ 128日で 1日分の誤差を与えます。 蓄積しているカレンダー誤差は、ローマ教皇 Gregory XIII に トレントの評議会 (Council of Trent) からの命令のとおりに カレンダーを改良するよう促しました。

グレゴリオ暦では、太陽年は 365 + 97/400日間 = 365.2425日として 概算されます。 従って、グレゴリオ暦で太陽年が 1日ズレるには およそ 3300年を要します。

4で割り切れる年を、うるう年にする。
ただし、100で割り切れる年は、うるう年にしない。
However, every year divisible by 400 is a leap year after all. ただし、400で割り切れる年は、結局うるう年とする。

つまり、1700, 1800, 1900, 2100, そして 2200年は うるう年 では 有りませんが、1600, 2000, 2400年は、うるう年です。 それに比べ、古いユリウス暦では 4で割り切れる年のみがうるう年 でした。

1582年 2月の教皇勅書は、 10 日分の日数を 1582年の 10月から 除外することを命じ 、10月 4日のすぐ次に 10月 15日 が 続くようになりました。この命令は イタリア、ポーランド、 ポルトガル、スペインで守られ、他のカソリックの国々はすぐ追従 しましたが、プロテスタントの国々は変更に気が進みませんでした。 またギリシャ正教を信奉する国々は今世紀の始めまで変更を しませんでした その改革は 1752年にイギリスとその領地 (今のアメリカ合衆国を 含む) でも守られました。 それで 1752年 9月 2日の次が 1752年 9月 14日になっています。 それが Unix システムの cal コマンド の出力が下のようになる理由です:

% cal 9 1752
   September 1752
 S  M Tu  W Th  F  S
       1  2 14 15 16
17 18 19 20 21 22 23
24 25 26 27 28 29 30
   

Note: SQL92 は " datetime literal (日付/時刻の文字表現) の定義の中で、 datetime value (日付/時刻の値) は グレゴリオ暦に従った日付と時間の自然法則に則る" と明記されています。 1752-09-03から1752-09-13までの間の日付は、ローマ教皇の布告に より幾つかの国では削除されていますが、 "自然の規則" に従えば、それらは正当な日付です。

グレゴリオ暦に先行して、さまざまな暦が世界の多くの地域で開発 されました。 例えば、中国暦のルーツは紀元前 14 世紀までさかのぼる 事ができますし、伝説では、黄帝 (Huangdi) が紀元前 2637 年に この暦を発明したとされています。 中華人民共和国では、公的目的ではグレゴリオ暦を 使いますが、祝祭日の決定は中国暦を用います。